テイエムオペラオー急死!和田竜二騎手との栄光の戦績やライバルとの激闘も【馬楽園的名馬列伝】

2000年、有馬記念。

勝ち続けると、すべての馬が敵になる。

その馬は、完全に包囲された。

道は消えたはずだった。

テイエムオペラオー。

お前はなぜ走れたのか。

『年間全勝のレジェンド』

その戦いに、人は夢を見る。

さぁ、夢を見よう。

出典:2012年有馬記念CMより

テイエムオペラオーが亡くなった。

「世紀末覇王」が
心臓麻痺でこの世を去ったのは5月17日。

日本競馬史上屈指の成績を残した
テイエムオペラオー。

彼の追悼と共に、その戦績を振り返ってみよう。

…泣くな和田竜二。

目次

テイエムオペラオーの血統と戦歴(1998-1999皐月賞まで)

出典:スポニチ

テイエムオペラオー
父:オペラハウス
母:ワンスウェド
母父:Blushing Groom
という血統。

今でこそ
オペラハウス×Blushing Groom
という血統構成を見ると

「一発超大物を輩出する狂気の血統」
みたいなイメージがあるが

テイエムオペラオー出生当時の
オペラハウスの種牡馬としての
実力が未知数(産駒デビュー前)だったことや

欧州の大種牡馬である
サドラーズウェルズの流れを汲む
父系が日本でさほど評価されておらず

「欧州の長距離血統」
「日本では重くね?」
「地味」と表されるような血統構成だった。

ただ、母系の近親には
BCマイル勝ちCozzeneがいたり
半姉にCBC賞2着
チャンネルフォー(4勝は全て1400m以下)がいたり
母系はスピードに富んだ血統構成を内包していた。

と、結果論でいうと
活躍できる下地は充分兼ね備えた
血統構成ではあるのだが、当時は
「父:欧州の重そうな血統の種牡馬」
×
「母:よくわからない輸入馬」
程度でしか見られておらず

セリでもスタート価格の1000万円から
一切値段が上がらず、そのままの金額で
オーナーとなる竹園正繼氏に落札されたのだった。

その後オーナーの縁で栗東の岩元市三厩舎に所属。

ここでも当初の評価は
「普通」程度のものだったが
調教で好タイムを連発し
デビュー前から評判となる。

新馬戦でも調教の動きが評価され
1.5倍の断然人気に支持されるも
6馬身差の2着と人気を裏切ってしまう。

悪いことにレース中に飛節を骨折しており
休養を余儀なくされる。

休養明けは明け3歳の1月。
ダートの短距離戦を4着でまとめると
翌月の未勝利戦(ダート)で見事に初勝利。

その後、
芝に戻ったゆきやなぎ賞(500万下)を快勝し
皐月賞の「東上最終便」と呼ばれる
毎日杯(GⅢ)に出走。

ここで2着に4馬身差をつける
圧勝で重賞初制覇。

陣営は追加登録料200万を払って
皐月賞に挑戦することとなる。

余談だが、この毎日杯は前述したように
皐月賞の東上最終便と呼ばれているレースだが
当時は、ステップレースとしては
弥生賞、スプリングS、若葉Sを経由する馬が多く
毎日杯はレベル的に「?」が付く場合が多かった。

ここで鮮やかな勝利を挙げた馬は
関西の秘密兵器として
皐月賞では(穴)人気になることも多かったのだが

結局、永遠に秘密のまま
終わる馬たちも多く
(例:シルヴァコクピット、ミラクルタイム
ダイタクテイオーなど)
個人的にも毎日杯勝ち馬はそう信用していなかった。

迎えた皐月賞では
アドマイヤベガ、ナリタトップロードの
有力馬からは離された5番人気という

やはり
関西の秘密兵器的な評価を得ていた。

ところが蓋を開けてみると
直線でエンジンに点火したような
爆発的な末脚を炸裂させ見事に勝利!

サドラーズウェルズ系はジリ脚
という今までの概念はなんだったのか
と思うぐらいの凄まじい鬼脚でまずは一冠。

鞍上の和田竜二騎手も
21歳での初GⅠタイトルということで
記念の皐月賞制覇となった。

鞍上には和田竜二がいた(1999日本ダービー-有馬記念)

出典:スポーツ報知

テイエムオペラオーの
生涯戦績26戦すべてに
和田竜二が騎乗していた。

現在では
「関西の乗れるベテラン騎手」という立場を
ガッチリ築いている和田竜二騎手だが
当時はまだ21歳の若手。

初めての重賞勝ちが
ステイヤーズSのサージュウェルズ
(※サドラーズウェルズの直仔)だったので
和田竜二ってサドラーズウェルズ系に乗せたら
日本で一番上手いんじゃね
と、当時は本気で思っていた。

皐月賞でアッと言わせた
和田竜二とテイエムオペラオーだったが
ここからは苦戦続き。

この年のクラシックは
テイエムオペラオー和田竜二
ナリタトップロード渡辺薫彦
という新進気鋭の2人の若手騎手が
アドマイヤベガ武豊
に挑むという構図が出来上がっていた。

クラシック第2弾の日本ダービーは
皐月賞2着のナリタトップロードに的を絞って
早めに抜け出したところを
「待ってました」とばかりに追い込んできた
アドマイヤベガに交わされ、
またナリタトップロードにも競り負けて3着。

秋緒戦の京都大賞典では
1番人気のスペシャルウィークを警戒しすぎて
ツルマルツヨシを捉えきれずの3着。
(※スペシャルウィークは7着)

三冠最後の菊花賞は
ナリタトップロードの渡辺薫彦騎手の
「魂の騎乗」(←と勝手に管理人が思っている)
の前によく追い込んだものの2着まで。


確勝を期して臨んだ
年末のステイヤーズSでは
1.1倍の圧倒的人気に推されたものの
ペインテドブラックの激走の前にまさかの2着。

予定を変更して急遽出走を表明した
年末の有馬記念でも
グラスワンダー、スペシャルウィークの
歴史に残る大接戦の最中で
こっそりタイム差なしの3着に入るなど

実力はあるけど勝ちきれない
キャラの馬に成り下がっており

このままじゃ、ひょっとしたら
ナイスネイチャみたいになるんじゃね?
的な評価しかなかったのだが…

一方、この馬の本当の力を信じて疑わないのが
オーナーである竹園正繼氏にとっては
このダービー以降の成績というのが
相当不満だったご様子で
特に若干仕掛け遅れてナリタトップロードに敗れた
菊花賞後には「騎手を替えろ!」と激怒したらしい。

しかし管理調教師の岩元市三氏が
和田をかばい続け、最終的には
「どうしても乗り替わりというなら転厩してもらうしかない」
とまで言い放つ事態にまで発展する。

まぁ、竹園正繼氏と岩元師は
同郷の幼馴染で仲良しというのも
あるんだけどね

そんなこんなでコンビ継続を渋々了解してもらうことになった
テイエムオペラオーと和田竜二騎手のコンビだが、当然

もう、一回も負けられない。。。
という凄まじいプレッシャーにさらされながら
明け4歳の戦いが幕を開けるのであった…。

明け4歳(2000年)の激闘

出典:Naverまとめ

明けて4歳は2月の京都記念から始動。

ここを楽勝すると、次走の阪神大賞典では
ラスカルスズカ、ナリタトップロード、
ホットシークレット、トシザブイなどの
同級生の馬たちを撃破。

続く天皇賞・春でも
1番人気に応えて見事に勝利。

前年秋のイマイチぶりから
完全に王者へと進化を遂げることになる。

そして迎えた春のグランプリ宝塚記念も
前年敗れたグラスワンダーとの一騎打ちが予想されたが
大外を捲って勝利し見事にGⅠ2連勝を果たす。
(ちなみに2着はメイショウドトウ)

秋も充実一途。

京都大賞典から復帰し、極端なスローペースに
巻き込まれるも59kgの斤量を背負いながら
鞭を使わずに上がり3F33.3秒という末脚を繰り出して
ライバル、ナリタトップロード以下を一蹴して勝利。

秋のGⅠ戦線に駒を進めることになる。

秋の天皇賞では、
「春秋天皇賞制覇」と偉業に挑戦することになったが
様々なジンクスが渦巻いていた。

秋の天皇賞は
非常にトリッキーなコースとして知られており
スタートしてすぐにコーナーがやってくるため
「外枠は絶対不利」というジンクスが存在していた。

テイエムオペラオーは7枠13番…。

そして天皇賞秋は、そのトリッキーなコースが
災いしてか「1番人気の馬が12連敗中」という
ジンクスも存在していた。

オグリキャップもメジロマックイーンも
トウカイテイオーもナリタブライアンも

時代を彩った様々な名馬たちが
府中の魔物に喰われていった。

テイエムオペラオーは2.4倍の1番人気…。

そして最大の不安材料が
鞍上の和田竜二騎手が東京競馬場で未勝利
というものであった。

このような様々なマイナス要因から
「何が起こるか分からない」という
雰囲気がプンプン漂っていた天皇賞秋。

やはりテイエムオペラオーも
そのジンクスにハマってしまうのか…?

という予想をあっさり裏切って
天皇賞秋を快勝(ちなみに2着はメイショウドトウ)

次走のジャパンカップでは
1.5倍という圧倒的な支持に応え、
この年のドバイシーマクラシック勝ち馬で
ワールドレーシングチャンピオンシップ総合優勝馬
ファンタスティックライトなどの
強豪外国馬もあっさり撃破し優勝。
(ちなみに2着はメイショウドトウ)

2000年に入ってから7戦7勝(うちGⅠ4勝)
という完璧な数字を残し年末の有馬記念に向かった。

有馬記念では
古馬中長距離GI競走同一年度完全制覇
重賞連勝記録(8連勝)
秋季GI3競走同一年度完全制覇
など様々な記録が掛かっていたテイエムオペラオー。

有馬記念はスタート直後から馬郡に包まれ
動くに動けない苦しい状態。

4コーナーに向いても
包まれっぱなしで動くに動けず
直線では後方11番手。

フジテレビ実況の堺正幸アナウンサーに
「テイエムは来ないのか!?」と言わながらも
直線で馬群がばらけると一気に進出を開始し
ゴール前ではギリギリ、ハナ差で2着馬を捉え見事な勝利。
(ちなみに2着はメイショウドトウ)

この有馬記念は本当に厳しい戦いであり
観戦していた竹園正繼オーナーも

「馬も騎手も涙が出るほどかわいそうでした」

と語っている。

この勝利によってテイエムオペラオーは
前人(馬?)未到の様々な大記録を更新したわけだが
偉かったのは馬だけではなく騎手も同じ。

和田竜二騎手は

「おかしくなるくらいのプレッシャーだった。

あの年はオペラオーのことしか考えていなかった

と当時の心境を明かしている。
(ちなみに、和田竜二騎手がこの年結婚しているのは内緒だ)

20世紀最後の年の大偉業に
競馬ファンはテイエムオペラオーに畏敬の念を込めて
「世紀末覇王」という異名を与えたのだった。

2001年の戦い

出典:https://satokitchen-keiba.net/8596.html

中央競馬の
古馬中長距離GⅠを総なめにした
テイエムオペラオー。

現役続行か引退して種牡馬か。

現役続行ならば戦績的にもそして血統的にも
競馬ファンは凱旋門賞を中心とした
海外の大レースへの挑戦に胸を躍らせた。

しかし陣営の判断は
「現役続行」
「欧州挑戦は上半期の国内の結果次第で考える」
というもの。

非常に個人的な意見で申し訳ないが
この陣営の判断に、当時大学生だった管理人は
非常にガッカリした。

理由は2つ

1つは、
同じく現役続行を決めた
ナリタトップロードに何としても
GⅠをもう一つ勝ってほしかったから。

ナリタトップロードが勝てる可能性が最も高いGⅠは
春の天皇賞だと考えていた。

「上半期の結果次第」ということは
テイエムオペラオーが春の天皇賞に出てくるということ。

もういいよ~(´_`。)
…と思ったのは私だけではないはずだ。

そしてもう1つの理由
悲願のGⅠである凱旋門賞を勝つためには
エルコンドルパサーのようにかなり早い段階から
現地のレースに慣れさせて1年間を欧州で過ごすくらいの
スケジュールで臨んでもらいたいと思ったから。

血統的にはいかにも欧州向き。

それこそ宝塚記念までの結果次第と
悠長なことは言わずに、夏前ぐらいから
欧州遠征を敢行してもらいたい。

当時、ケツの青い若造は
勝手にそんなことを思っていた。

…と好き勝手書いたが
ファンの色々な思惑が交差する中
日本で春のGⅠ戦線に臨むことになった
テイエムオペラオー。

2001年緒戦は
春の天皇賞のステップレース
大阪杯(当時GⅡ)。

当然勝つだろうと思われていたものの
向こう正面からアドマイヤボス騎乗の
後藤浩輝騎手からの執拗に競り掛けられ
また調子も戻り切っていなかったことから
伏兵トーホウドリームの強襲に会い4着と敗退。

連勝記録もあっさり途切れてしまった。

この後藤騎手の騎乗に、岩元市三調教師は
「あんな騎乗はありなのか!?」と
怒りを露わにしたそうだが
当然テイエムオペラオー潰しのために
各騎手が策を練ってくるのは当然のこと。

続く本番、天皇賞・春では
王者の貫禄を見せつけ見事に勝利し
天皇賞3連覇という偉業を達成した。
(ちなみに2着はメイショウドトウ)

次走、この結果次第で欧州挑戦が決まる
宝塚記念では再び他の騎手からの徹底マークに会い
4コーナーでは致命的な不利を受けてしまう。

直線で猛追したものの
それまで2着続きだったメイショウドトウが
ロスなく完璧に立ち回ったこともあり
初めて後塵を拝する2着に敗れる。

…この宝塚記念は
「テイエムオペラオーの欧州挑戦が決まるレース」
というよりも
「メイショウドトウが雪辱を期すレース」
という雰囲気がプンプン漂っていて
何とかメイショウドトウに勝ってもらいたい!
と考えるファンが圧倒的多数を占めていた。

結局この敗戦で、
テイエムオペラオーの欧州挑戦は白紙撤回され
秋以降も国内での現役続行が決定することとなる。

そして秋以降…

何も言うまい。

もう前年のような圧倒的なポテンシャルは
テイエムオペラオーには残っていなかった。

京都大賞典ではステイゴールドの失格による
繰り上がりで1着を確保したものの
天皇賞秋では1つ下のアグネスデジタルの鬼脚に屈し
ジャパンカップではジャングルポケットの雄叫びに
やられてしまう。

引退レースとなった有馬記念でも余力は無く
マンハッタンカフェの5着と振るわず
「最多GⅠ勝利数記録」の更新はならなかった。

その後のテイエムオペラオー

出典:種牡馬時代のテイエムオペラオー

種牡馬としては
社台ファームでのシンジゲート入りの交渉が不調に終わり
竹園オーナーの個人所有という形で種牡馬生活を生活させた。

オーナーの愛情は非常に強く
GⅠ3勝馬のテイエムオーシャンと3年連続で交配され
障害馬として活躍しているテイエムオペラドンを輩出。

しかし、やはり欧州の重い血統構成が
敬遠されたか質の良い繁殖牝馬が集まらず
サイアーランキングは2008年の37位が最高と
種牡馬としては苦戦していた。

そして冒頭のようの2018年5月17日に
心臓麻痺で急死。

残念ながら、その血を後世に残すような
大物の輩出は絶望的な状況である。

しかし今年度も種付けを行っていたようであり
幸せな馬生だったのではないだろうか。

派手さは無いが、最後は確実に勝ってしまう
その戦績から人気はイマイチだったように思うが

竹園オーナーの執念、岩元市三調教師の苦労
そして和田竜二騎手との絶対的なコンビなど
馬と人がセットで出てくる稀有な存在だったように思う。

時代が経過しても
8戦無敗で古馬中長距離GⅠ完全制覇という偉業は
決して色褪せることがない。

管理人もこの記事を書きながら
色々なことを思い出した。

テイエムオペラオーと和田竜二
ナリタトップロードと渡辺薫彦
メイショウドトウと安田康彦

この切っても切れない3頭(3人)の
せめぎあいに熱狂した21世紀の初め。

だから泣くな和田竜二。

テイエムオペラオーの引退式で

「オペラオーにはたくさんの物を貰ったが、
あの馬には何も返せなかった。

これからは一流の騎手になって、
オペラオーに認められるようになりたい。」

と言ったじゃないか。

通算勝利数は1000勝を超えて
一流騎手の仲間入り。

しかし、
そろそろオペラオー以来のGⅠ勝利で

勝利の「1、2、3、ダー!!」

をやろうではないか。

テイエムオペラオーよ
永遠にー。

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