【日本ダービー2018特集】思い出のダービー馬/ウイニングチケット『ダービーを勝たせるために生まれてきた馬』

次の日曜日は競馬の祭典、日本ダービー。

過去の歴代ダービー馬の思い出を
順番に振り返っていく「思い出のダービー馬」

あの頃の思い出や時代背景と共に
プレイバックするこの企画。

第2回は、1993年(平成5年)の第60代ダービー馬
ウイニングチケットにスポットを当ててみよう。

「平成三強」「BNW」と呼ばれた
屈指の実力を持った1993年の牡馬クラシック世代。

悲願のダービー制覇に挑んだ
ウイニングチケットと柴田政人の物語。
(※馬齢は当時の表記で統一します)

ウイニングチケットの血統、戦歴


出典:ミドルエッジ

ウイニングチケットは
父:トニービン
母:パワフルレディ
母父:マルゼンスキー
という血統。

母系はスターロッチから脈々とつながる
日本でも有数の牝系で母父マルゼンスキーも
「スーパーカー」と呼ばれた歴史に残る名馬。

また父のトニービンはこの1993年のクラシック世代が
初年度ではあったが、凱旋門賞馬でもあり
鳴り物入りで日本に輸入された欧州の名馬。

ウイニングチケットは
どの角度から見ても良血
という素晴らしい血統構成を持っており
当然デビュー前から非常に期待されていた。

当時の関西の名伯楽、伊藤雄二調教師に
管理されることとなり、1992年の9月に
函館競馬場でデビュー。

デビュー戦は5着に敗れるものの
連闘で出走した新馬戦で勝利。

その後一息入れて、中山競馬場での
葉牡丹賞(500万下)、ホープフルS(OP)を連勝し
一気に翌年のクラシック候補に名乗りを
挙げることとなる。

関西馬でありながらこの時点で既に
関東へ遠征しているあたり、
師のウイニングチケットへの
期待の高さが見て取れる。

4歳緒戦の皐月賞トライアルの弥生賞(GⅡ)では
ナリタタイシン・ドージマムテキなどの
有力馬をまとめて差し切り快勝!

鮮烈な勝ちっぷりでありながら
レース後には伊藤雄二調教師、
柴田政人騎手が揃って
「今日は85点」「切れがひと息」
など辛口なコメントを発したことから
ウイニングチケットの評価が急騰。

クラシック第1弾の皐月賞には
「絶対的な大本命」として
臨むこととなった。

1993年、皐月賞

この皐月賞でウイニングチケットは
単勝支持率40.8%という圧倒的な
人気を得ることとなる。

しかし鞍上の柴田政人騎手は
一抹の不安を感じていた。

弥生賞の時に比べて状態が落ちている。

彼は皐月賞のパドックで
ウイニングチケットの変調を
感じ取っていた。

弥生賞の後にソエが出て
思い描いていたプランに狂いが生じた。

「パドックで立ち上がってみたり、
返し馬に入ってからも落ち着きがなかった。

ソエを痛がっていた影響か、気持ちが別の方に行っていた。

周りが考えているより力は接近していると思っていたし、
なんとなく嫌な感じはしていたんだ」

出典:ameblo

レースでは4番枠から絶好のスタートを切り
4コーナーでは2番手に上がり直線は一旦抜け出したものの
結果的にはそこまで。

ウイニングチケットを交わして粘るビワハヤヒデに
ガレオンが並びかけたところを
大外一気の強襲でナリタタイシンが差し切ってしまった。

ナリタタイシン鞍上の武豊の騎乗は
「お見事」の一言に尽きる。

弥生賞で自分から動いて完敗した結果を糧にして
最後の直線ギリギリまで追い出しを我慢して
直線で乾坤一擲の差し脚を引き出した
騎乗っぷりは、武豊が日本の超一流騎手への
階段を登り始めた第1歩となった(と勝手に思っている)。

一方で、前哨戦の弥生賞と逆パターンの敗戦を喫した
ウイニングチケットの柴田政人騎手の騎乗には
批判の声が出ていた。

柴田政人騎手からすると
皐月賞の敗戦はウイニングチケットの状態の問題に
尽きると考えていたのだがファンはそう受け止めなかった。

決して騎乗ミスではない。
それを証明するために
日本ダービーで勝たなくてはいけない

柴田政人騎手の決意は固まったのだ。

騎手、柴田政人

出典:wikipedia

ウイニングチケットの鞍上には
柴田政人騎手がいた。

柴田政人騎手の通算勝利数は
歴代11位の1767勝。

押しも押されぬ当時の
関東を代表するトップジョッキーである。

しかし柴田政人騎手といえば今でも
独特な地位を得る存在として語られている。

柴田政人騎手は現役時代を通じて
「厩舎社会の義理」を非常に重んじた
騎手であった。

現在でもある程度勝利数を重ねることのできる
腕を持った騎手は、所属厩舎を離れ
フリーの立場として様々な厩舎からの
騎乗依頼を受けるのが一般的である。

当時でも柴田政人騎手と共に
関東の双璧として君臨した
岡部幸雄騎手などは
早めにフリーに転身し
多くの有力馬に跨っていた。

多くの有力騎手がフリーという選択肢を取る中で
柴田政人騎手は武骨に「厩舎所属」という
立場を取り続けた。

大レースの直前に騎手が乗り替わる
今では珍しいことでは全くないが

それまで馬と戦いをともにし、
育ててきた騎手の心を思って
大レースでの乗り替わりの依頼を嫌い、
自らが大レースで騎乗するのは
それまでも自らと戦いをともにしてきた馬
という信念に沿って行動していた。

そんな柴田政人騎手を
シンボリルドルフの管理調教師であった
野平祐二氏はこう評している。

「過去に世話になった義理とかを守ってばかりいる。

   そして走らない馬、ダメな馬にばかり跨っている」

「妙な男」

出典:wikipedia

この柴田政人騎手のようなスタンスは
勝利数や重賞、Gl勝ちといった実績を積み上げるためには、
正直マイナス材料としかならない。

実際にウイニングチケットの3戦目
葉牡丹賞でも柴田政人騎手は
ツミカサネという聞いたことのない別の馬に騎乗し
6着に敗れている。
(※ウイニングチケットの鞍上は田中勝春騎手)

この時もツミカサネの調教師が
「マサトが乗って新馬を勝ったのはうちの馬。
こっちに乗れ~!!」と強硬に主張したためらしい。
(※葉牡丹賞の1番人気はこの馬なので実力はあった模様)

こんなエピソード聞いていても
色々面倒くさそーだなぁー
と思ってしまう。

しかし柴田政人騎手は時代に淘汰されそうな
自らの信念を決して曲げることはしなかった。

そして当時の競馬ファンも
彼の不器用な生き方を愛し、応援していたのだ。

そしてそんな柴田政人騎手が騎手生活晩年まで
こだわり続けたのがこの日本ダービーである。

自分の信念に忠実ながらも超一流の実績を持つ
柴田政人騎手がどうしても手に出来ていなかった勲章。

それが日本ダービーである。

数々の勲章を手にしていた柴田政人騎手も
このダービーだけ見ると
呪われているとしか思えないほど
不運続きだった。

例えば昭和53年のファンタスト。
皐月賞馬の栄光に輝き
当然ダービーでは本命の評価を得ていたものの
ダービー直前の最終追い切りで
疝痛を発症して無念のリタイア。

例えば昭和60年のミホシンザン。
こちらは”無敗”で皐月賞を快勝し
ミスターシービー、シンボリルドルフに続く
三冠達成間違いなしと確信したものの
ミホシンザンは皐月賞のレース中に骨折し
ダービーはリタイア。

チャンスさえ無かった。

その後、コクサイトリプルやイイデセゾンで
3着はあるものの「惜しい」というレベルでも無く。

デビュー24年、45歳で迎える19回目の日本ダービー。

それは彼にとって最後のチャンスだった。

1993年、日本ダービー

「平成三強」「BNW」と呼ばれた
1993年のクラシック世代の大目標
第60回日本ダービー

ウイニングチケット⇒柴田政人
ビワハヤヒデ   ⇒岡部幸雄
ナリタタイシン  ⇒武豊

絶対に負けられない戦いだった。

柴田政人騎手は上位3頭の実力は拮抗している。
最後はちょっとした騎手の判断や
運によっても結果が変わる
と考えていた。

人気は割れたが1番人気はウイニングチケット。
ファンは柴田政人の悲願に賭けた。

勝負のポイントは4コーナーだった。

逃げるアンバーライオンが外に膨らむ。
馬場の内側が荒れていたからだ。
他の先行馬もつられて外に膨らむ。

その瞬間、ウイニングチケットの前方が
ポッカリと開いたのだ。

予想外の展開。

しかし勝負の神様が導いてくれた
ビクトリーロードだったのかもしれない―。

17万人の「マサトコール」に出迎えられて
インタビューでマイクを向けられた柴田政人。

「世界中のホースマンに、

   第60回日本ダービーを勝った柴田政人ですと伝えたい」

こうして柴田政人とウイニングチケットは
歴史にその名を残したのである。

ウイニングチケットと柴田政人のその後

ウイニングチケットは次走の京都新聞杯を
見事な末脚で快勝したものの
続く三冠最後の菊花賞では
距離の限界を露呈しビワハヤヒデの3着。

ジャパンカップではレガシーワールドの3着と
好走したものの、年末のグランプリ有馬記念では
秋4走目の疲れが出て、11着と凡走。

4歳いっぱい、鞍上は柴田政人騎手だったが
翌1994年の4月のレースで落馬し
頸髄不全損傷ならびに左腕神経叢損傷という重傷を負う。

あと数cmずれていたら生命の危機の可能性もあった
この怪我は、柴田政人の騎手生命を奪ってしまった。

主を失ったウイニングチケットにも輝きが戻ることは無く
1994年の秋の天皇賞8着を最後に引退することとなった。

日本ダービーの見事なレースぶりと
その後の不振も相まって
ウイニングチケットは
「柴田政人にダービーを取らせるために生まれてきた馬」
と呼ばれるようになった。

まとめ

1995年に放送されたCM

いろいろあるけど
やっぱりウイニングチケットかな?

と、はにかみながら語る柴田政人
(なかなか、かわいいではないか)

全てのホースマンにとっての憧れ
それが日本ダービーなのである。

経験・執念・勇気、そして運。

全てを兼ね備えた、一世一代の大勝負に
勝ったのはウイニングチケットと柴田政人。

あのダービーからもう25年。
柴田政人調教師も今年がラストイヤー。

あのダービーは永遠のもの。

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